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先日美術館での茶会が終わったばかりなのですが
ほっとしてもいられない
12月の頭には今年最後の茶会があるのです。


次の茶会は“夕ざり”の会。
照明を落とし、蝋燭を灯して幻想的な席を作る予定です。

蝋燭といえば、最近本格的にキャンドルアーティストとして始動し始めた友人が。
母も是非にと、発注させて頂く運びとなりました。


ただここにきて大きな壁が。

 

小さな立礼席(椅子に座る茶席)を三席同時に設けるという性質上
母はできるだけ小さなものでなくては困ると。
ただし、辺りの照明を落としている以上、明るさはどうしても欲しいのです。
コンパクトで、なおかつ芯が太い、もしくは複数芯のものを所望しました。


その要望を先方に伝えたところ
難しいとの返答。
芯の太さはキャンドルの直径で決まるようなことを私も聞いたことがあるので
そのまま母へ伝言。
しかし母は納得しません。
とりあえず試しに作って欲しいの1点張り。
渋々それをまた伝え
危険なものは作れないと頑なに拒まれ
それを伝え・・・

双方をフォローしつつ伝書鳩を繰り返し

ついには彼女の先生にまで意見を伺い
結局無理であるとの結論に落ち着いたのですが。

 

このやりとりを外野的に眺めると
思いつきのままに無理難題を押し付けるクライアントと
その道の掟・理論を以って依頼を断るクリエイター
 

さながら『火天の城』で
地上から5階まで吹き抜けの城を作れという信長と
火の道を造ることになるから絶対できないと命を懸けて陳情する岡部又右衛門を見ているようで


危険なものは造れないという彼女は
技術上可能だからととりあえず造ってしまう作家より
よっぽど信頼が置けるなどと場違いなことを考えていました。

 
 

ただし、この場合の母は、信長ではありませんでした。
母も、いたって“現実的”に考えていたからです。



何故なら、目の前にそれをクリアしたものがあったから。



 

 


例えば直径が5cm以下で
炎が5cmを超えるような
そんなキャンドルは存在するのでしょうか。


答えは“狭義にはNOであり広義にはYES”。


“キャンドル”ではなく“ろうそく”ということです。

正確に言うと、“和ろうそく”。


IMG_4236b.JPG

IMG_4238b.JPG


上が彼女製作のキャンドル(直径:約4.5cm(内側) 炎の高さ:約2cm)
下が和蝋燭(直径:約1.5cm 炎の高さ:約5cm)

和蝋燭の方が無駄に炎が大きいだけでなく、照度も高いようです。
ただ、洋ロウソクは和ろうそくより明るくしたというような話も聞いたことがあったので
少し調べたのですが、
和蝋燭と洋ロウソクの明るさを比較したサイトを見つけました。
やはり和蝋燭の方が数段明るいそうです。

和蝋燭の明るさテスト


炎の大きさがここまで異なる理由としては
先ず第1に、言うまでもなく和蝋燭のほうが芯が太いのです。

そして第2の理由は、
芯そのものの構造にあります。
和蝋燭の芯は、和紙をい草で巻くことでできており、中心部が空洞になるそうです。
それが炎に空気を供給することで炎を大きくする。

その結果、洋ロウソクは炎の中心部が高温であるのに対し、
和蝋燭は中心から外側にかけて温度が上がるとのこと。

和蝋燭の独特な炎の揺らめきの理由もこれです。



ただ、一番気になる点

何故和蝋燭だとここまで細い蝋燭に対して太い芯を立てられるのか
言い換えれば
何故洋ロウソクの“直径:芯の太さ”の比率を無視した構造が可能なのか

芯が空洞という話だけで片付けるのはあまりに乱暴です。



ロウの融点が違うのでしょうか。


洋ろうそくは主にパラフィンワックス、つまり石油から生成されているのに対し
和蝋燭に使われるロウは櫨(ハゼ)の実の外殻を圧縮してできている


ということは分かりました。


しかし、私の調べ方が悪いのか
両者の融点の差は分からず。

また、最近はキャンドル作りにも植物油が使われているようで
(事実彼女のキャンドルにも大豆ワックスが使用されています)
単に石油と植物の原料に答えを見出すことは難しいようです。


んー。


今の私は自分の知的好奇心にとことん付き合う程暇ではないので
これ以上は調べませんでしたが
一つはっきりしたことがあります。


母の彼女に対するオファーは
要するに

“和蝋燭と洋ロウソクのハイブリッドを作れ”
ということでした。


それこそ、信長並の無理難題です。
彼女には何とお詫びを言ったらいいものやら。

何故双方が自分の意見を譲らなかったのか
それは“それぞれの正論”を主張していたからです。

ただ、この“正論”というものが曲者で
しばしば角を立たせる原因や刃物になるのですが
今回の場合はそれぞれが違う世界の正論だったということです。

そこで私が二つのろうそくについて
相違点を理解していればもっと簡単に決着がつく話でした。

やれやれ。
最近反省することばかりです。



因みに
「だったら最初から和蝋燭を使えばいいじゃないか」
そういうツッコミがありそうですが
和蝋燭は形、高さが均一で
ホテルの立礼席にしては少し堅すぎたのです。



結局話は振り出しに戻り
席の設え、明かりを置く場所等、考え直すこととなりました。

 



 

和蝋燭とキャンドルの炎を見比べながら思ったこと。


現代の生活でこれほど炎が大きいと、引火や火傷の危険が増すことにつながるのであり、
そういった危険性も含めて改善したものがキャンドル、ということなのでしょう。
(もちろんコストの面もありますが)


実際、日本においてはかなり人口の少ない村や、離島であっても電気は通っており
携帯電話まで使える時代に
“蛍雪の功”などという言葉がピンとこなくなる現代において


ろうそくは“照明”としての役割を失い
ケーキと共に“祝う”道具として活路を見出し
近年はブームに乗って“癒し”という価値を確立させつつあります。



私もアロマキャンドルは大好きですし
炎を見つめてぼんやりするのは至福の時です。


第一、ロウソクが色も形も、香りさえ自在に身に纏うことができるのは画期的です。
和蝋燭では周りに絵を描くことで精一杯だというのに。



ただ、普通に生活をしてたら
和蝋燭の炎の揺らぎを見ることなんてないのかと思うと


お盆に迎え火送り火はしないけど
ハロウィンは楽しむ人々を見るような
元は死者への畏怖という共通観念であったはずなのに


そんな考えが頭をもたげて


周囲の空気を読んで大胆に形を変える和蝋燭の炎の横で
健気に一定に保たれた小さな炎を見ていたら
なんだか物悲しい気持ちになってしまいました。



考えすぎです。
いつもの悪い癖です。
 

唯一の救いは
 キャンドルから立ち上る上品なムスクの香りが
神経を和らげてくれました。

感謝感謝。

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昨日は五島美術館に於いて茶会を催しました。


IMG_4199b.JPG

他の流派、先生と共同で開催させて頂くことは多くても
志野流のお香席とご一緒したのは初めて。
予行練習をしてききたのですが、やはり本物は新鮮で、色々と勉強させて頂きました。

IMG_4208b.JPG



ただ、今回自分に重大な欠陥を発見してしまいました。


客としての心得。


主催する側は毎年経験を積んでいる為
点前として茶に気を配る事
半東として茶席に気を配る事
水屋として他の生徒に気を配る事
等々はこなせるのですが
(出来て当たり前のことであって今更言うまでもないのですが)

毎回茶会が始まる前、準備の8時過ぎから片付けが終わる17時過ぎまで
昼食はもちろんトイレに行くのも忘れる程
自分の席につきっきりになってしまうので
他のお席を回る暇がないのです。

現在の私にある茶人としてのスキルのうち
主が40あるとしたら
客は4くらいのように思えます。
(最大値を100とすると)

そつなくこなして、何となく周囲に気を配れるのみ。
必要最低限なレベル。

正客に座るわけでもないので
あまり多くを求められるものでもないのですが
それでも「この時こうできたら」という反省点がいくつも出てきます。


200910251721000.jpg

今回も食べる暇がなくて持ち帰ったお弁当。
少なくとも今日の私は
庵名宗名を持っている身としてギリギリ合格点でも
このように呼んで頂くにはあまりにお粗末でした。



自信が慢心にならない様に。

日々精進。
日々修行。









 

昨日、一昨日は
under150cmのかわいい娘たちにそれぞれ会っていました。

時系列がおかしくなってしまいますが
前記事との関連で昨日の話から。

私が教わった万華鏡の先生は
実は私の教え子の友達のお父様。

ということで
その教え子と二人で再度渋谷に行ってきました。


ギャラリーに並べられた
それはそれは高価で希少な作品を手にとっては
「セーラームーンの・・・」などと卑近なものに例えて遊んでいました。

それぞれ満足して
人ごみを抜けて渋谷駅に戻ると
ふと彼女の一言。
「私こういう外見だから渋谷歩いててもキャッチとか声かけられたことないんですよ。
それだけはラッキーだなって。」

身長148cm、二十歳のその子は
例えるならレッサーパンダ。
ヒールを履いたことがなく
その日もオーバーオール(あえてサロペットとは言いません)にスニーカー。
とっても愛くるしいのですが・・・。



そこでふと気付いたのです。

ここ10年で私自身初めて
渋谷の行き帰り、一度も声をかけられなかったことに。

ハチ公前からセンター街等通ったにも関わらず。


女性ならこの奇跡を理解してくれると思うのです。

声をかけられると言っても基本的に無視するだけですが
それでもしつこい人がいると面倒なものです。


こんなにストレスフリーな渋谷は初めてでした。
思わず、この先自分が渋谷を訪れる際は同行して欲しいと頼んでしまいました。


自由が丘雑貨めぐりも
毎度お馴染みの音楽談義も楽しかったです。

もしもの時のために
とっておきのリスク回避術も伝授しました。
あまり万人にお勧めできるものではありませんが
彼女なら使いこなせるはず。




その前日は・・・
彼女の話を聞いていて
不覚にも泣いてしまいました。

想いが交差して絡まって
さながらマロニエの樹状態で。



詳しく書きたくないし
書くべきでないのも分かってます。


でも
みんな傷ついている。


その子も、相手も、あの子も・・・。


かつての経緯を見ていただけに
辛くて痛くて・・・。


どんなに苦しかったか
想像するに余りあります。



だからこそ
引っ掻き回したあの人を疑ってしまうのですが
その人にも大きな闇があるのでしょうか。

もしあるとして
それを知ったら
私はその人をも受け止められるのでしょうか。

その闇がどれほど深ければ要件を満たすのでしょうか。


どれ程寛大に解釈しようとしても
やっぱり理解できない。
意味が分からない。
“可哀相な人”ということまでは私でも分かるのですが。


全く第三者の私が
許すも許さないもないのですが
今の私がその人に会ったら
やはり冷たく見下ろしてしまうでしょう。


もし私が当事者のうちの一人だったら
とても彼女のように頑張れない。

きっと痛い目にあわせることを計画し
実行していたに違いありません。


少し彼女を見習わなくては。






IMG_4101b.JPG

くりはま花の国にて。
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